ジャニーズ嫌いがEndless SHOCKを観劇に行くまで

KinKi Kidsファン歴10年目に突入したのでなんか書こうの会。

10度目の4月10日。

やってきました4月10日。

もともと、わたしにとって4月10日は特別な日でした。
それはわたしのだいすきな祖母の誕生日だからです。
祖母は10年前の3月に亡くなりました。
ちょうどKinKi Kidsをすきになってしばらく経った頃です。

そんなわけで、わたしの手元には大事にしている4月10日グッズがあります。
祖母の形見です。
幸福行きの切符のキーホルダーです。
これは生涯大事にしていきたいなあと思います。

KinKi Kidsをすきになるまでのお話はまた時間ができたら。
とりあえず今日はここまでです。
剛さん、36歳のお誕生日おめでとうございます!
36歳 Kids おめでとう!
そしておばあちゃんおめでとう!

再会はチョコレートの味。

2004年

当時、中学生だったわたしはバスケ部に所属していた。
バスケ部に所属し、毎日ハードな練習に勤しんでいた。
毎日毎日。
ほとんど休みなく。
テスト前には練習が休みになり、その間3キロ増えた体重が練習再開するとその日のうちに3キロ落ちたりしていた。それくらいハード。
ただ、今考えると練習のなかった一週間で3キロ増えるのもどうなんだ。

何はともあれ、それくらい、毎日動きまくっていた。
けれど、その日は突然来た。
寝られなくなったのだ。
どんなに疲れていても、どんなに頑張っても、寝られないのだ。
寝られないうちに新聞屋さんがくる。
朝練の時間になる。学校へ行き、朝練をし、授業を受ける。放課後部活をし、家に帰り、夜になり、ベッドに入る。
寝られないまま朝になり学校へ行き、朝連をし、授業を受け、放課後部活をし…
そんな生活を10日ほど続けるとおかしくなっていた。

原因はいま考えると山ほどあるのだけれど。
そんなこんなで身体を壊したのが中2の終わりから中3の始め頃。
部活に行かなくなったのは中3の夏前。
行かなくなったというか、寝られないから体力的に無理だった。他にもいろんな理由はあったけれどw
そんなこんなで、バスケ部を辞めようと決意したのが秋。

むちゃくちゃ辛かったし、辞めたくなかった。
部員と顔を合わすのも先輩方とすれ違うのも辛かった。
それでも部活には行けなかった。
どうしたらいいのかわからない、そんな日々を送っていた。
そんなとき、夜、テレビを点けていると、こんな声が聞こえてきた。

「やめちゃえば?
 そんながんばんなくてもさぁ、自分らしく生きればいいじゃん。
 ホント。やめちゃえば。」

えっ?て思った。
誰だかわからないけれど、ほんとに優しくその声は耳に入ってきた。
そして、こんな声も聞こえてきた。

「やっぱり君は悪くないよ。
 とやかく言う人もいるけどさ。
 わかってる。君は悪くない。」

そう。森永DARSのCMだ。
CMだ、て言ってもおそらく当時のKinKi Kidsファンまたはジャニーズファンしかわからないのだろうけれど。
この二つのCMに、大袈裟かもしれないけれど、こころ救われた。
たしか、泣いた。
それくらいいろんなことに追い詰められてて、この二つのCMに背中押された。
そしてついにその冬の12月にバスケ部を退部した。


なんだかわからないけれど、背中押されたCM。
まだどっちの名前も知らない。
むしろこの二つのCMをKinKi Kidsがやってるとは思ってない。
これがKinKi Kidsとの再会。

接点0。

毛嫌いしてた。
なんで?て言われたら当時はただなんかムカつく、だった。
特に歌が上手いわけでもなく。*1
当時のわたしがときめくものはなにもなかった。
幼稚園児のときから楽太郎(現: 三遊亭円楽) さんに密かにときめいていたわたしにはジャニーズ系のかっこよさはわからなかったし。
とにかくキャーキャー言われてたのが気に食わなかった。
というか、当時女嫌い*2だったので女の好きなものが嫌い、みたいな流れだったんだと思う。

あと、兄の存在が大きかった。
兄は、いわゆるイケメンで。
高校の頃はタイガー&ドラゴン長瀬智也さんそっくりだった。
小学生の頃、いや、もうほんとに小さい頃から外見を褒められていて。
ジャニーズに入ればいいのに!て何度か言われていた。
ただ、どちらかというとお笑い系?だったらしくそのあとは必ず吉本に入ればいいのに!に変わっていた。
そんな顔の良い人と育ったのもあって、顔の良い人にアレルギー持っていたんだと思う。
せめて小さい頃からお世辞でも褒めてもらえれば違っただろうに、お世辞すら言われずに兄ばかり褒められる環境で育ったので完全に歪んだ。まあこの話は詳しく書かないにしても。
とにかく、ジャニーズて聞くとたぶん無意識下で兄のことを思い出していたせいもあるんだと思う。
ほんとに、今となってはなんで嫌いだったのか思い出せない。
けれど、ほんとに、嫌いだった。
できる限りジャニーズの出る番組は見ない、とか。
出てきたらチャンネル変えるとか。
そもそもテレビ自体そこまで見てなかったけれど。
よく観てたのは笑ってこらえてとか。
なんでも鑑定団とか。
ドラマもほとんど観てなかった。
だから、そもそも、ジャニーズと接点がなかった。
詳しく知る機会もなかった。
だから、きっと、毛嫌いしたまんまだった。

*1:て思ってたんです

*2:いまじゃ女の子だいすきでどうしようもないレベル

はじめてのジャニーズ。その2。

二分割にしなくてもよかったかな、と思いつつ。その1はこちらです。
はじめてのジャニーズ。その1。 - ジャニーズ嫌いがEndless SHOCKを観劇に行くまで

KinKiについて書こう、と思っていたけれど、ブログ名をジャニーズ嫌いが云々にしたのでじゃあKinKiに出会う前のわたしとジャニーズの関係についても書こうとなったらkonozama.

そして、思い出せば思い出すほど、わたしがよく見ていたジャニーズはV6だったんだな、と。
そしてV6にマイナスな感情持ったことないな?て思い返してたら気づいた。
あ、れ?ブログ名変更?変更の危機なの?
というか、ジャニーズだとあまり思ってなかった節がある。

V6との出会いの順番としてはこうである。

ウルトラマンティガ

二度目の登場。
長野博さんを知ったのは何度も言いますが、ティガです。
でも常に長野さん呼びなので下の名前は出にくいです。すみません。

カミセン、トニセン

小学校4年次、運動会。白組の応援歌で使われていたのがカミセンの「夏のかけら」だった。*1
もちろん替え歌である。
これ、ものすごく身バレしそうだけどw
「夏のかけらを♪」の部分が「白のチカラを赤にぶつけて♪○×*○÷+*・♪みんなでがんばろ♪」みたいな感じで。
カミセンという言葉を知ったのが小4。
「意味ないじゃん!意味ないじゃん!」
「ダメダメ」
とかそんなフレーズが応援内に含まれてた気がする。
上級生がこの歌はーと説明してくれたので覚えた「カミセン」「トニセン」という単語。そしてV6。
V6という言葉をきちんと覚えたのはこのときかもしれない。
でもメンバーはわからないし、ティガと繋がっていたかすら危うい。
ぎりぎりWAになっておどろうの人たちの中のグループ、ていう認識だったんじゃないだろうか。

伊藤家の食卓

裏ワザと言えば、この番組。
設定とか忘れたけど、三宅の健さん*2が出てたのは覚えてる。
里佳子さんとか、磯野貴理子さんとか。
いまググったら元々は裏ワザ番組じゃなかったのね。
なので、三宅の健さんを知ったのはこの番組である。


そして

学校へ行こう!

未成年の主張B-RAP HIGH SCHOOL、休み時間向上委員会などを覚えている。
なぜか観ていた。でもV6目当てというよりもあの番組だから観てたんだと思う。*3
でも、確実にV6メンバーを覚えたきっかけだった。


なので、長野さんを見れば ティガだ!てなってたし、三宅の健さんを見れば三宅さんだ!てなってたし。森田さんやいのっち、坂本さんや岡田さんもちゃんと覚えましたよ。大丈夫(なにが



まとまりがなくて文章もぐちゃぐちゃだけど。
ジャニーズ嫌いのわたしの生活の中にいたのはV6でした。
というお話。

*1:ちなみに赤組はZARD「負けないで」

*2:「ケン」とつく人が多いため「○○のケンさん」という言い方をよくします…平井の堅さん、松平の健さん、渡辺の謙さんなど

*3:周りみんな観てたもんなあ…たしか

はじめてのジャニーズ。その1。

うたのおにいさん

ジャニーズがなんだかわからなかった小学校低学年児。
そんなわたしも興味を持って観ていたものがあった。
長野オリンピックである。
日本にオリンピックが来る。
子どもながらになんだか特別ぽいこと、いつもより長い時間テレビを観ていても叱られないこと。
様々なことにわくわくしていた。
注目競技はボブスレーとジャンプとスピードスケート。
あとスキー全般。
ボブスレーは直前にジャマイカのボブスレー映画を観たから。*1
ジャンプは原田選手の生涯みたいな特番をやっているのを観たから。
スピードスケートは清水選手がかっこよかったからである。
長野オリンピック
他に覚えていることと言えばなんだかよくわからないマスコットと歌である。
WAになっておどろう。
つい最近までV6がオリンピックでも歌ってたんだと記憶してた。*2
それくらいインパクトがあった。

それがV6との出会い。
でもまだジャニーズ、とはあんまりわかってなくて、V6という、うたをうたうお兄さん、くらいにしか思ってなかったと思う。

ウルトラマンティガ

長野つながりである。
いま念のため調べて驚愕した。
長野オリンピックより前じゃないか…
わたしは1999年になんやかんやあってテレビ放送を観られない状況に追いやられるわけですが。
そのときからいままでの記憶としては「1999年にテレビが観られなくなったからウルトラマンティガを全部観ることができなかった。」だったのに。
記憶とはこうして捻じ曲げられるのか…
1996年9月から1997年8月までらしい。
めっちゃテレビ観られる環境にいた期間だ…*3

とにかく、V6で一番最初に顔を覚えたのは長野さんだった。
ティガ=長野さん。
未だにわたしの頭の中ではそんな感じ。
そして脳内に鳴り響く「ティガ!勇気が!いま!足りなーい!」という歌。
これもいまのいままでV6が歌ってるんだと思ってた…ほんとにV6のファンの方には申し訳ない…

そんなこんなでわたしとジャニーズが出会ったのは最初SMAPでもなく。
この後すきになるKinKi Kidsでもなく。
V6だったのである。
まさかの続きます。
そして続きもKinKi Kidsの話ではなく、V6の話です。

*1:クール・ランニング

*2:いろいろ調べたらどうやら出てなかったという結論に至りましたがもしも出てたら申し訳ないです。

*3:でもたしかにあの時期なんやかんやありすぎて記憶ぐっちゃになってるのは仕方ないかな…と振り返り

KinKi Kidsとの出会い。

硝子の少年はガラスの仮面の主題歌

わたしとKinKi Kidsの出会い。
それは、接骨院だった。
1997年、秋口、当時小学校2年生だったわたしは重度の捻挫を抱え接骨院にいた。
理由は当時通っていた小学校のフェンスによじ登った後、足から落下したためである。なぜフェンスによじ登っていたかなどはKinKi Kidsとは無関係なので割愛する。
とにかく、わたしは接骨院にいた。
接骨院には、ドラゴンボールの漫画と、ガラスの仮面が置いてあった。
そう、ガラスの仮面が。
ドラゴンボールをアニメで知っていたのでガラスの仮面に見向きもせず、そちらを読み耽り待ち時間を潰していた。
そんな中、院内でかかったのが硝子の少年である。
なぜかしっかり覚えている。
そして謎の勘違いをするのだ。
硝子の少年はガラスの仮面の主題歌なのだと。
当時、テレビと言えばアニメと笑点しか観ていなかったわたしはKinKi Kidsを知らなかった。
あの、1997年、KinKi Kidsが待ちに待たれたデビューの年に、わたしはKinKi Kidsを、知らなかった。
どれくらい知らなかったかというと、小学校でKinKi Kidsの話題が出た時に
「…キンキ?魚の?美味しいよね!」
と言い放ち周りをドン引きさせたくらいには知らなかった。
おそろしい子…*1

これが、わたしとKinKi Kidsの出会い。
まだまだKinKi Kidsをなにも知らない、そして、まさか自分がKinKi Kidsをすきになるだなんて夢にも思ってない頃のお話。

*1:夜の8時にはベッドに入る生活してたから仕方ないよね、という言い訳。

ジャニーズ嫌いがEndless SHOCKを観劇に行くまで

2015年3月7日。18時00分。
東京は帝国劇場、一階上手側の座席にわたしは座っていた。

ジャニーズが嫌いでKinKi Kidsのどっちがどっちだかわからなかったような人間が堂本光一の舞台、Endless SHOCKを観劇に行くまでの10年間を2015年SHOCKが終わるまでにのんびりと書いていこうかな、と思う。
ネタバレも、たぶん書き終わる頃には解禁だよね?なんて期待しながら。
とりあえず、iPhoneからブログタイトルはどうやって変えるんだろうな?て思いながら記念カキコ。*1

*1:解決した。